「機動戦士ガンダム 30周年記念上映 メモリアル・プログラム」の年表について

映画「機動戦士Zガンダム A New Translation」3部作、以下「新訳Z」と呼ぶが、あの3部作をやたら悪く言う人は多いが、僕はあれを嫌いじゃないんですよ。ちょっとばかり古い映像の違和感はそりゃあるでしょうが、新規作画のメカ描写は素晴らしく、また0083などからゲストメカも登場し、そのメカ描写に絞るならUCの前身としても意義はある。
ストーリーの変化だって僕は楽しんだのだ。ケーキ食うシーンとか。
まあ、その違いも楽しいよねーと言えない人がいるのも仕方ないとは思う。宇宙世紀は年表とかがあって、歴史を大事にするシリーズではあるけど、新訳Zは歴史的にはどこにもつながらない。

一応確認しておくが、新訳からTVアニメ『ガンダムZZ』につながらないことは明らかなことである。映画でアクシズは地球を去り、カミーユも精神崩壊しない。代わりにサエグサが変なことを言い出す。
では、この後にジュドーやZZガンダムが存在する歴史が否定されたかというと、それは微妙で、別の「新訳ZZ」にならつながるかもしれないけど、とりあえず元のままのZZにつなぐ気がないことは前提となっている。
逆襲のシャアを含めて映画7部作みたいな言い方も当時していたようなのだが、新訳に逆シャアへのつながりを特に意識した描写があるわけでなく、それにやっぱり『逆襲のシャア』はTV版ZZありきの物語である。
新訳Zは新訳Zで、僕は独立したシリーズというふうに思っているし、公式サイドもそういう判断なんではないだろうか。
メカ的にはフェダーインマラサイだのT3外のヘイズルだのが「あったこと」になってるという不思議な位置づけがされることもあるが。

そんなパラレル的な作品である新訳Zガンダム準拠と思われる宇宙世紀年表が、2017年までの時点でひとつだけ確認されている。それが「機動戦士ガンダム 30周年記念上映 メモリアル・プログラム」掲載のものだ。
「機動戦士ガンダム」30周年記念上映、劇場版3部作好評上映中!
この2009年の「機動戦士ガンダム 30周年記念上映」と同時に販売された特別な映画パンフレットである。

今回扱うこのパンフレット掲載の年表だが、現在のガンダム情勢で重要な存在であるとは、僕は全く考えていない。
ただ、これをなぜか必要以上に重要な資料として喧伝する動きがあるらしい。
どこで。
さあ…
このパンフレットの名前を何かの拍子に知って、内容を知りたい人がひょっとしたらいるかもしれないので、本記事はそういう人向けに「これはそんな大層なもんじゃないですよ」ということを示すものである。
この年表の名前は「宇宙世紀年表(U.C.0001~0093)」である。「公式」と銘打ってないがまあ大した問題ではないだろう。
内容はアニメシリーズ『機動戦士ガンダム』『Zガンダム』『ガンダムZZ』『逆襲のシャア』と、それから『ポケットの中の戦争』『08小隊』『0083』。そして0093年までの範囲だが『F91』の設定も含むものとなっている。
当時アニメ化の決まっていた『UC』は未反映だが、100秒でわかる!機動戦士ガンダムUCなどに見られる適当な年表とは違う「ちゃんとした年表」としては、総解説ガンダム辞典1.5と並んで、2017年現在でも最新に近いものではないかと思われる。
僕の知る範囲ではこの後アップデートされてないということであるが。
…されてるんでしょうか。誰か知ってたら確認しといてください(他人事)。

Z~逆シャア部分の記述に関しては「機動戦士ガンダム エピソードガイドvol.3 ネオ・ジオン編」(1999年)のものが原型となっているらしい。
見比べてみたが確かにそうなってる。

「エピソードガイドvol.3」5ページの宇宙世紀年表
0087.03.02 エゥーゴ、グリーン・ノア1より試作MS3機を強奪。

「メモリアル・プログラム」5ページの宇宙世紀年表
0087|3|2 エゥーゴ、グリーン・ノア1よりティターンズの試作MS3機を強奪。

このように全体で微妙な言い回しの変化が起きているが、内容の変化はほぼない。
違うのは、新訳Zで消えたイベントが削除されていること。「エピソードガイド」から0087年の以下の記述が消えている。
※表記は端折ってあります

0087.08.10 アポロ作戦
08.24 グラナダへのコロニー落とし作戦
09.21 サイド2への毒ガス攻撃
11.02 キリマンジャロ攻撃
11.16 ダカール演説
12.07 サイド2へのコロニーレーザー攻撃
12.14 サイド2への毒ガス攻撃(2回目)

逆に、追加されたイベントはなし。
「エピソードガイド3の年表から、単純に新訳Zでなくなったイベントを消しただけ」と言い切って差し支えない。ZZと逆シャアについてはエピソードガイド3から表現の変化のみ。

ここで注意したいのは、エピソードガイドの年表自体も、他の年表と違いがあることだ。
たとえば「宇宙世紀公式年表」と比較すると(今回は近藤Zの3巻のものと比較)、ゼナの死去、ジュピトリスの帰還やグラナダ攻撃など、結構多数のイベントがエピソードガイドで追加されている。削ったものはないようだ。
「エピソードガイド年表」は、vol.3の範囲については「宇宙世紀公式年表」からのアップデート版の可能性が高い。
ただし、「エピソードガイド年表」は以下の日付が「公式年表」から変化している。

ホンコンシティ襲撃の日付が0087.05.29→06.29(これは総解説1.5でも後者を採用)
メールシュトローム作戦の日付が0088.02.02→02.20(これは総解説1.5では前者を採用)

「メモリアル年表」でも日付は変更後である。ホンコン襲撃はどっちでもいいかという感じだが、メールシュトローム作戦の日付は問題がある。2.20にメールシュトローム作戦、2.22には即コロニーレーザー戦、そして終戦となる。忙しすぎる。
エピソードガイドは新訳より古い本なので当然TV版の歴史のはずだが、47話から50話までを3日で終わらせることになっているのだ。
…これ、誤植ではないのか。
いや3日でいけなくもないかあ…?
2月2日からだと期間が開きすぎてる感じは確かにあるんだけど…

新訳だと48話のロザミア戦がなくなってるので、結果的に2月20日の作戦開始から3日で映画を終わらせるのがちょうどいい感じになってるのだが。
「エピソードガイド年表」で変化したことに気付かずそのままにしたのか、映画に合ってるから気づいててあえて直さず採用したのだろうか。
まさかエピソードガイドの年表にしたがって映画を作ってる…?
富野に限ってそんなことはしない気がするが…
(なお「総解説1.5年表」は87年10月のアクシズとエゥーゴのやりとりがさらに詳しいなど、もっとたくさん違いがあるが、今回は比較しない)

99年の「エピソードガイド」から09年「メモリアル・プログラム」までの10年の間に、他に年表がなかったのかはよくわからず。
エピソードガイドVol.1と比較する限り、一年戦争部分に関してはメモリアル年表のほうが詳しくなっている。
エピソードガイドも全巻は持ってないので全部は確認してないが、「メモリアル年表」のモデルは他にもあると思われる。だがそれを探すのは本記事の目的ではないのでパスである。
ともあれこの「メモリアル年表」、新訳Zで消えたイベントが消えているので、新訳ルートの年表であると考えられる。それなりの確度で。

…断定できない理由もそこそこある。
ひとつは、この年表が新訳準拠だと一言も書いてないことを挙げる。これは何にも準拠しない「年表オリジナルストーリー」である可能性があるということだ。
この上映イベントの趣旨と、削除されたイベントのチョイスから考えて新訳を意識してるんだろうなーということは言えるのだが、そのことをちゃんと「公式に」説明してある年表ではない。
まあ明言されてなかろうと新訳をある程度意識して変更が加えられたことは明らかなのであるが、それにしても「ただ削っただけ」である。
はっきり言えば、新訳Zにちゃんと向き合って書き直した年表ではない。残ってるイベントの日付もメールシュトローム作戦以外はそのままだが、新訳の映像に合ってるのかどうか知らないぞ。
そのメールシュトローム作戦が2.20になってる件も、映画に基づいた変更なのか誤植が残ってるだけなのか判断はできない。

しかし何より決定的なのは映画のオチである「ミネバだけ地球圏に残り、ハマーンを含むアクシズの一派は地球圏を去る」という新訳の結末が反映されていないことだ。
「メモリアル年表」の歴史ではZZ部分に変更はない。すなわち、アクシズはグリプス戦役終結の1週間後、87年2月29日には早くもネオ・ジオンとなり、各サイドへの侵攻を開始する。そして89年1月17日にはハマーンは戦死し、ミネバは行方不明となるのだ。
年表が映画のオチと反する形になっている。
その理由を説明するものはパンフレット中に一切ない。
どういうことだろう?

いや、映画と年表を無理やり辻褄を合わせることは可能である。
楽に説明するなら、新訳Zで見せたハマーンの帰還は嘘だったのだ。ミネバ留学で油断させといて一週間で攻撃準備を整えたハマーン。汚い。
いやいやハマーンは撤退したけどグレミーが残ってて即座に地球侵攻開始したのかもしれない。善良なハマーンさんは慌てて戻ってきたけど戦闘に巻き込まれ死亡、ミネバも巻き込まれてジンネマンのところに行くとか。
新訳のミネバが留学した時点で既に偽物だったという可能性もあるな。
こんなふうに新訳Zのオチの映像を肯定しつつ、「新訳ZZ」を各自で勝手に想像して無理やり年表に合わせることで説明はつくが…
どこにも存在しない「新訳ZZ」を想定し、強引なストーリーで説明つけることはできるとして、その行為に意味はあるのか?
それならまだ「新訳Zのオチだけ無効にした微パラレル年表」と解釈したほうがマシに思う。

※ちなみにカミーユの精神崩壊については、元から年表に書いてない事象なので、何ら変化はない。

パンフレット全体について触れる。
冒頭には富野由悠季、内田健二、古谷徹、池田秀一の30周年記念上映に向けてのメッセージを掲載、次に年表のページがあり、そのあとは映画7作それぞれの解説やチラシ、アムロとシャアのまとめに主題歌歌詞、GACKTのメッセージにガンダムブームから新訳Zまでの出来事の振り返りとなっている。

パンフレット自体が、この記念上映で上映された「新訳」前提で書いてあることが印象的である。
そのせいか、このパンフレットは年表以外ではZZの存在をほぼ無視している。26ページの振り返りに「機動戦士ガンダムZZ」のタイトルが1箇所書いてあるだけだ。それ以外はセル画の一枚も掲載していない。
もちろん『ZZ』この記念上映と無関係な作品なんだからそうなるだろうという話であるし、別に新訳ルートはZZになりませんよと明記してあるわけでもないんだけど。
それでも決定的だと思ったのは『逆襲のシャア』の解説ページで、グリプス戦役のことしか書いてなくて、第1次ネオ・ジオン戦争がなかったかのような表現がされていることだ。実際は逆襲のシャアは『ZZ』が前提として存在しないと難しい物語だと思うのだが、そのことをこのパンフレットでは一切触れていない。

その他、新訳の歴史絡みで思うことも以下にいろいろ書く。

・この「メモリアル年表」がマイナーである
一体何人の目に触れているのか…
この年表が特別重要な年表なんですとごく一部で主張されても、言われたほうは困るだろうということは言っておきたいのである。

・ガンダムは年表主義をとっていない。
ファイブスター物語なんかは年表を先に書いて、それに合わせて話を展開するという方式を取っていた。まあその方式が成立してるかは怪しいもんであるが。
機動戦士ガンダムの年表はそういうことはなく、年表は後から作られることを基本としているし、年表の修正もそこそこ起きている。
たまには年表から漫画とかに反映された例もあったかもしれないが。

・年表を正しいと思うならどうなるか
僕などは年表の絶対性をそもそも信じてないので、「宇宙世紀公式年表」についても公式だからなんやねんとくそみそに書いたし、このメモリアル年表にしろ「Z部分は新訳想定で変えてみたけどZZ部分まで直すほどの気力がなかった」程度にしか思ってないわけだが、そうじゃなく、この年表を新訳Zに基づく「公式設定」として真摯に扱うなら、どう解釈するべきなのだろう。
「アクシズは帰ったふりをした(実際はまだいる)」でもいいんだけど、仮にそれしか答えがないんだとしたら、それはこの年表に書かれるべきじゃなかったのか。書かなかった理由は究極的にはなんであろうか。
新訳Zのオチ部分に限って否定しているのだろうか?
それともやっぱりオチが違うことまで考えずに適当に書いただけなのか?
いずれ作られるかもしれない「新訳ZZ」は年表通りアクシズがすぐ攻めてくる話にするべきなのだろうか?
するかもしれない。しないでいいとも思う。

・富野監督が年表の存在にネガティブである。
これは予想可能な話であったが、ある本に明言があった。

富野由悠季「戦争と平和」(2002年)
96ページ
ガンダムの歴史と年表について大塚英志に聞かれた富野監督
>ああいうふうに年表が組み立てられていくということについては、大きなお世話だという印象しかなかったです。

>本当に、単純にあの手のものが大嫌いなんですよ。

>物語を作るというのはそういうことじゃねえだろうという、

>あの年表を作りたがる人たちの知恵の発動というのは、どうにも小賢いとしか見えなくて、


なんか創作物の年表という概念そのものが大嫌いみたいな発言を、この1ページにたくさん残してる。
そんなわけで、この「新訳年表」も、パンフレットに寄稿している富野監督が口出しした可能性はまずなく、目を通しているかどうかすら怪しい。
最近もGレコとターンエーの順番がはっきり書いてあったのが監督の説明だと逆になってて、もうちょっとちゃんとチェックしとけよと思う件があったのは記憶に新しい。

補足すると、富野監督は年表の存在には否定的だが、(この本では)過去作の否定をしているというわけではない。
同じ本の99ページあたり、ちょっと引用できるレベルを越えているので僕なりの要約とするが、黒歴史の発想にあったのは一度発表された作品である以上『Gガンダム』も事実として肯定するという発想だったようだ。ただ歴史上あったこととして存在は肯定しても、それとは別に歴史を年表のような形で作る気は富野監督にはなかったようだ。
黒歴史年表の作成については「お好きにどうぞ」だそうだ。

・カイレポ
『デイアフタートゥモロー カイ・シデンのレポートより』は新訳Zの裏で、主にTV版にあったエピソードをパラレルワールド的に拾っていくみたいな漫画である。
その『カイレポ』の内容がメモリアル年表に反映されていないのはそりゃそうだって感じである。カイレポを公式設定として肯定するなら新訳ダカール演説もキリマンジャロもTVと別の形であったことになるが、年表で消えてるのはカイレポが別に絶対正史となる漫画じゃないからだ。
だからってカイレポが非公式とかそういうわけでもないが。これもちゃんとサンライズが世に出すチェックをした漫画のはずである。

作者のことぶき先生も、実は新訳後のZZ展開を否定しないコメントを出している。
2巻の最終話後の作者インタビュー
>ひょっとしたらこの後『機動戦士ガンダムZZ』へ続いたのかもしれない、と匂わせるような描写もほんの少し混ぜこんでみたんですよ
>ただ、これはあくまでも一つの可能性の話であって、『ZZ』世界の存在を肯定も否定もしないという程度のものですけどね。

こう言っているものの、カイレポは新訳に準拠して戦後のアクシズは姿を消しているし、その後の動向はTV版ZZとまったく違うものになっている。
一応カイレポとTV版ZZとの違いを列挙すると、
・シンタとクムがアーガマを降りている
・アーガマはシャングリラっぽいコロニーに一度寄港してもう出港済み
・当面のアーガマの敵はティターンズ残党
・戦争終結から3ヵ月経ってる
・終戦の日付は曖昧
ブライトとアストナージの言い方からするとカミーユとファもアーガマを降りているっぽく、またジュドーが合流した描写も入れようかことぶき先生は迷っていて、結局入れていない。
ここから本気でZZにつなぐなら、やはりジュドー参戦とアクシズ再襲来ということになろうか。

もちろん今後新訳ZZが作られる際にカイレポに合わせることも別にないと思われる。
だが現状で「解釈」としては年表もカイレポも等しいもんであるし、映画に沿ってるのはカイレポのほうであるよなあ。

メモリアル年表にはカイレポは反映されていないが、実は『メモリアル・プログラム』29ページにカイレポに言及している箇所はあったりする。カイレポと『C.D.A 若き彗星の肖像』が「テレビ版や劇場版では語られなかった空白部分を埋める役目を果たすことで」「劇場版をさらに盛り上げる一助となったのだった」だと。

・福井先生の発言
最後にだいぶ話が脇道に外れてしまうが、記事の締めにつなぐため、やはり書いておく機会と思った話を。
ZZ(ダブルゼータ)からUC(ユニコーン)へ - 福井晴敏氏らが宇宙世紀の『ガンダム』を語る「ZZをなかったことにはできない」
このレポートではっきりしているのだが、ガンダムUC作者の福井晴敏先生は別に『ガンダムZZ』が好きな人ではない

>だから『ZZ』がどうこうじゃない。事実としてそこにあるんだからしょうがない。
このような発言もたぶん新訳の『ZZ』否定を否定するものだろうと思うが、

>福井氏:プルがお風呂から出てきてプルプルプルプル~ってやり始めた時は、さすがに仕事とはいえ見続けるのが苦痛だったけど、
これを思った時点でもアレだけど、思っても公の場で言っちゃダメだと思う…
仕事で見てて、内容の一部とはいえ「苦痛」だと言い切ってしまう人に「好き嫌いしないで食べなきゃだめですよ」って言われてどうします?

>そして福井氏は、『ユニコーン』で『ZZ』の要素が目立つ理由は『逆襲のシャア』があまりにも『ZZ』なんてなかったかのように振る舞いすぎたからだ、と語る。
僕の認識でこんな事実はなく、福井先生はメカしか見てないのかと不安になる。メカだけを基準に見るなら、逆シャアには確かにジムIIIしか出てこないが、それを言うなら『Z』のメカだってホビーハイザックしか出てこないぞ。普通のハイザックやマラサイやネモやガザCはどこ行ったのよ。
メカだけで言うなら逆シャアは『Z』すらなかったことにしていることになるじゃないか。
これはもうどう考えても、逆シャアの映像で古いメカを出す必然性がなかっただけである。ジムIIIは必然性があったから出てきた。それだけだ。
ハイザックやマラサイ同様に十分残ってたであろう量産機バーザムを全く出そうとしなかったUCの原作者にこういうことを言われたくはないのである。

新訳どころか逆シャアにまで遡って歴史の否定に文句言っておきながら、作品としてのZZ自体は仕事でもなければ見てないという本音が混ざる。
「言われているほど悪くない」じゃないよ、「悪く言ってる連中はバカだ」くらいのことを言ってくださいよ。
はっきり言って、このレポートには当時非常にムカついたのである。
こんなんだから
>筆者のような『ZZ』派としては、踏み込みが浅いと感じる部分があるのも事実。来場したファンのうちの半数ぐらいが心の中で感じていたであろうじれったさを、筆者がフォローできればと思い、2点ほど補足しておきたい。
と、記者が長文でフォローしてどうすんだというオチがついてるわけだが。

だいたいUC自体が全部福井先生が関わってるのに小説とアニメとマンガで普通に歴史が違うんだから、歴史についてどうこう言える立場ではないと思う、と批判しておきたい。
そして言いたいのはそういう福井先生ディスりではなくて、UCでさえ歴史が3つ以上あるんだから、Zガンダムもそういうことやっていいんですよという話です。
新訳Zガンダムは確かに年表上の歴史の否定をやっているように見えるが、それは結局TVと映画で内容が違うよねという程度の話であって、作品『ガンダムZZ』や『Zガンダム(TVシリーズ)』の存在した事実を否定するものではない。

そして『メモリアル・プログラム』の年表は、その新訳に合わせきることもできていなければ、新訳Zを否定するような効力を持つものでもない。
中途半端である。
ただ事実として、この年表について言えることがあるとすれば、
富野監督やサンライズ内田社長が冒頭に寄稿するような「ちゃんとしたパンフレット」に、「新訳Zっぽい歴史からTV版ZZに直接接続される」「ちゃんとした年表」が掲載されている。
これが事実だ。新訳ベースのパンフレットであっても、「ガンダムZZ」の歴史そのものを年表から消し去るような暴挙はできなかった。
しかし、そのために新訳のオチと矛盾する形になっているこれは結局「新訳っぽい年表」としか言いようがない。
それを重要な資料として評価することは僕にはできなかった。
[ 2017/07/16 22:51 ] ガンダム | TB(0) | CM(0)

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